渦の描き方

 ブログを見て下さる皆様、いつも有難うございます。昨日の夜に悩んだことも、朝日を浴びると気にならなくなっています。清々しい気持ちで1日がまた始まりますね。さて、先生が本編で『夜と霧』の話をされています。私たちは幸い平和な現代の日本に生きていますが、それでも、一人ひとりが、時に過酷な状況の中にあって、それぞれに乗り越えられた結果、今があるのでしょう。「たったひとつ、あたえられた環境で、いかにふるまうかという、人間の最後の自由だけは奪えない」「人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ」…先生の仰る「自分を守って相手も守っている」という事にどこか通じるものがある、そんな気がします。

4月12日の稽古内容 ご指導:吉田師範

半身半立ち両胸持ち/両手持ち呼吸投げ、(立技)両手持ち呼吸投げ、四方投げ(外に捌く)、一教返し入り身投げ、肩取り面打ち小手返し、突き→後ろ両肩持ち三教おさえ込み、一教、天地投げ など

・腰振り。根っこが生えるように。振って振って、慣れたら一回でする。

・ガチッと持ってグッとくる(のを相手に返す)

・球を持つ。上げてる手をスッとおろす。良い状態を作っておく。

・渦(法線)の描き方。道を描いておく。大きく沈まなくても足をひけばよい。

・三教…相手に突き上げられて首を絞められないよう下からとるのがミソ。無理にとれないので体を振る。

・心と体を鍛錬している。『夜と霧』の中でヴィクトールEフランクルは、生きることを諦めたものは死んでいくが、体が極限状態でも心だけは奪えないという内容を言っている。

➡合気ガールより:先生のお話で思い出したのですが、どうも私自身が「でも、心までは自由に出来ない。」と強く思った事があるのです。どういう状況で何に対して抗っていたのかは皆目見当もつかず、忘却の彼方…。忘れているからこそ今のほほんと幸せに生きているのでしょうね。自分に制限をかけている棘のようなものがあるとすれば、この事が関係しているように思えますが、それが何かは重要ではありません。治すために大切なものを、既に頂いているからです。私の個人的な体験として、去年の夏くらいから現在に至るまでの身に起こった変化の途中経過をお話しします。お稽古に通っているのを、治療のような側面を感じることもしばしば。内容としては、姿勢を直して糸電話を開通するような事を継続して、いわば体を通じて心の偏りを正すようなものです。これはあくまで合気ガールの場合ですが、世界は変わらないけれど、自分を変える事で、目の前の相手といかに真摯に向き合えるか。合気道の稽古を通して実践する中で、愛によって魂が救済されるような、そんな感じです。出来る出来ないの話ではなく、劇的な変化でもなく、気付けば、心が軽くなっていた、という事なのです。全然違うかもしれませんけど、これが愛でなければ何を愛と呼べばよいのか分からないから、ただただ感謝しかありません。


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